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丘をのぼり、本をひらく
笠間 直穂子
このたびは、『山影の町から』を第73回日本エッセイスト・クラブ賞に選出いただき、ありがとうございます。大村智会長、選考にあたられた審査委員の方々、またご推薦くださった方に、厚く御礼を申しあげます。
過去の受賞者一覧を見渡してみて、エッセイと呼ばれるものの広大さ、自由さに、あらためて感じ入りました。『山影の町から』の巻末には、112点の参考文献が示してありますが、このなかに、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した本があるかしらと見ていくと、1点ありました。加古里子の『遊びの四季』、1975年、第23回の受賞作です。刊行元は、じゃこめてぃ出版ですが、増補・改題して2021年に文春文庫から出たものを、わたしは参照しました。刊行から半世紀が経ち、著者が亡くなったのちも、こうして読み継がれる本が選出されていることに、この賞が長年、読書家のあいだで培ってきた信頼の厚みを感じます。
賞をいただいて、わたしが真っ先に思ったのは、山田稔の『ああ、そうかね』と同じ賞だ、ということでした。報せを受けた次の日の秩父は、眩しい日差しと薄曇りが穏やかに入れ替わる天気で、蒸し暑くなるほんの少し手前のところへ、涼しい風が吹き抜けていました。自宅での仕事がひと段落つくと、本棚から『ああ、そうかね』を取り出しました。出版社は、京都新聞社。巻かれた帯には「1997年・第45回 日本エッセイスト・クラブ賞受賞」とあります。本をたずさえ、家を出て、スイカズラとヒメジョオンの咲く丘をのぼり、高台にある羊山公園に着きました。秩父市街を望む木陰のベンチで、『ああ、そうかね』を読み返しました。
『山影の町から』には、わたしの読んできた近現代日本文学の作家たちが登場します。二度出てくる作家もいますが、三度出てくるのは一人だけで、それは大原富枝です。かつて吉本隆明はこう書きました。「本がでると探してきて、できればどんな断簡も読んでみたいなと、無理なく感じるのは…日本の作家では大原富枝だ」と。それほど大きな存在なのですが、わたしの世代にとっては、すでに名前を聞くことの少ない作家になっていました。自分はいつ、どうやって大原富枝を知ったのだったかと、ある日、よくよく考えてみて、思いあたりました。
山田稔さんが『ああ、そうかね』のなかで、「ある「恋文」のこと」と題して、大原富枝の短篇小説について書いていたのです。その短篇とは、大原が色川武大の死に際して、一種の追悼文として書いた「男友達」という作品でした。山田さんは、この短篇を読んで「はげしく魂をゆさぶられ、すぐさま筆を取って未知の作者に手紙を書いた」そうです。山田さんが引用する「男友達」の一節に、わたしも動揺しました。そして、大原富枝の作品を読まずにいられなくなったのでした。
『山影の町から』のなかで、わたしは『ああ、そうかね』を取りあげていません。けれども、取りあげた大原富枝の本の向こうには、山田稔のこの本があります。本の背後に、その本を教えてくれた別の本があるのです。わたしが山田稔を介して大原富枝を知ったように、『山影の町から』を読んだ方が、そこに取りあげられた本に惹かれ、手に取り、できれば、どういうきっかけで知ったのかを忘れるくらい、その本に馴染んでくれたなら、と夢想しています。
つい、本から本へ、という話になりましたが、今回『山影の町から』という本を準備していて、気づいたことがあります。それは、わたしがこれまでに書いてきた学術論文などと違い、この本の場合、参考文献表を掲げても、それは本文に書かれている内容を、偏った形でしか反映してくれない、ということでした。
わたしは、巻末に参考文献表があるような人文書なら、本文を読む前に、文献表に目を通せば、だいたい中身の見当がつく、という感覚が身についていました。けれども、本書の文献表からは、たとえば、わたしがぼんやりと庭の鳥を眺めたり、草を触ったりした部分の記述は、すっぽりと抜け落ちてしまいます。当たり前のことなのですが、わたしにはひとつの発見でした。
そこで、自分用に、動植物索引をつくってみました。項目数は200あまりになりました。本には収録しなかったのですが、つくって眺めてみると、参考文献表と動植物索引とで、だいぶバランスが取れて、気分が落ち着きました。
この本は、参考文献表の層、つまり本の世界と、動植物索引の層、つまり自然に近い環境で暮らす者にとっての身のまわりの現実の世界、この両方の世界が重なって、できているのだと思います。ただ、本の世界と、現実の世界、というふうに、両者を切り分けられるかのような言い方をするのは、ちょっと違うのではないか、という気もします。わたしにとって、本と、身のまわりの現実とは、別々のものではないからです。本を読む体験というのは、ひとつの現実ですし、また現実の世界は、読むことができるものです。
思索は、体験の一種なのだ、という感覚が、わたしにはあります。考えることと感じることはひとつづきだ、と言い換えてもいいかもしれません。そういうことを、これからも、書いていくことになるだろうと思います。そして、そういうことを書くのに、もっとも適した器が、エッセイ、あるいは散文ではないか、そんな気がしています。
最後に、本書の成り立ちに関連して、一言お話しします。この本は、ひとつの精神的な危機を経て、生まれたものです。心身への負担から体調を崩した状態で、単行本化に向けた作業をはじめました。そんな状態でも、不思議と文章は書けて、というか、むしろ、書くことに助けられるような形で、書き下ろしの最後の一篇「風の音」を書きあげました。「風の音」に書いたとおり、そのころ、夕暮れの蓑山(現在は「美の山」と名づけられています)で、地球影(地球の影が空の低いところに青い層になって見える現象)に、出会いました。写真を撮りました。
原稿とともに、その写真を編集者に送り、この写真をカバーに使いたいと申し出ました。心身が不安定な状態で、軽いコンパクトカメラで撮影したので、少し写真の角度が曲がっているかもしれない、それはこういう自然現象を撮った写真としては、本来、致命的なことなのだけれど、でもこれが「風の音」を書いたときの気持ちなので、そのことも踏まえた装幀にしてもらえないかと、相談してみたのです。
相手によっては、意味がわからない、と困惑されかねない提案だったと思います。けれども、わたしの話を聞き終えると、河出書房新社の岩本太一さんは、それならデザインは佐々木暁さんにしませんか、と応えました。いまの笠間さんの話、佐々木さんには通じるという確信があります、と。そして、装幀案があがってきたとき、ほんとうに話が通じた、と思いました。
ですので、帯までふくめ、内と外が一体となったこの本は、真心のある編集者と、デザイナーと、3人で構想したものと、わたしは捉えています。河出書房新社編集部の岩本太一さん、デザイナーの佐々木暁さん、ありがとうございました。さらにまた、河出書房新社の小野寺優社長と、各部署のみなさん、暁印刷のみなさん、その他、本書の制作と流通にかかわってくださっているすべての方、そして支えてくれた友人たちと秩父の土地に、この場を借りて深い感謝を捧げます。この本が、読者のみなさんに見守られて、これからもゆっくりと育っていくよう、願っています。